揺り動かされることのない御国

 戦後最大の自然災害にみまわれた日本である(死者・行方不明2万人以上、40万人近くが避難生活)。こんな時、神はどこにおられるのか。神は現場に急行する救命士、警察官(住民の避難誘導をしていた警察官6名が殉職、27名が不明)、自衛官、原子力発電所の事故現場に入って行く勇敢な人々の中神はおられる。また、気高い精神をもった国民一人ひとりの中に、神はおられるのだ。ネット上のコミュニケーションサービス、ツイッターには、以下のような文章が投稿され、感動を呼んでいた。「暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ 仙台のみんな 上を向くんだ」(現地での会話)、「M9.0世界最大級となったのか。じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、世界最大級にしなくちゃ」。災害を通して、神は必ず善を実現される。その善とは、人が神への信仰と愛とを深め、より、互いに愛し合う者となることである。
 大災害が起きたとき、まず知るべきことは、人間が神に背を向けた結果、自然界の秩序も狂ったという事実である。創世記1:26 に「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』」とある。これは、人が神の愛をもって正しく自然を管理する責任が与えられたことを示す。しかし、この世的な繁栄を優先する人間社会は、自然を破壊し続け、本来の責任を果たしていない。また、破壊される町や建物を造るは、神ではなく人間である。神が人を殺すのではない。人類全体の原罪によって、人類に死が入り込んだのだ(「罪が支払う報酬は死です」ローマ6:23a)。しかし、ローマ5:8に、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」とあるように、人の罪深さをもってしても、神は人を愛しておられる。そして、イエスを救い主として受け入れる者の罪を赦し、天における永遠の住まいを約束されるのだ。キリストを知らずに亡くなられた方々の魂の救いは、黄泉にくだって宣教されるキリストにお委ねしよう(ペテロ第一3:19〜20)。

 地震に就いて  大正12年10月10日『聖書之研究』279号 内村鑑三全集28より
地震は恒(つね)に収縮しつゝある地球に伴ふ天然的現象である。故に地上に棲息(せいそく)する人類の善悪如何(いかん)に係(かか)はらず臨む者である。聖書に「我等此所(ここ)に在りて恒に存(たも)つべき都城(みやこ)なし」とあるは科学の立場より見て真理である(ヒブライ書十三章十四)。地は震ひつゝある、そして地と共に地上万物は震ひつゝある。然(しか)れども茲(ここ)に又震はれざる国がある、震ひつゝある地に属せざる国がある。そして我等は震ひつゝある此地に住みながら、此震はれざる国の市民たる事が出来る。地其物が拭(ぬぐ)ひ去らるゝ其後と雖(いえど)も猶(な)ほ生命を継続する事が出来る。願ふ我等は地震を恐るゝことなくして生活し得んことを、常に口に讃美を唱へつゝ 荒れはつる世に 高く聳(そび)ゆる 主の十字架にこそ 我は誇(ほこ)らめと(讃美歌第八十一番)。

 これは、関東大震災(大正12年9月1日、死者・行方不明者 14万2800人)直後の内村の文章である。ヘブル 12:28には、「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう」とある。災難に遭ったならば、神の国への希望を強め、苦難の中でこそ心を神に向け、神の愛を体験し、信仰を深めよう。そして、より人を愛し、使命に生きる者へと成長させていただこう。
 先週、インターネット上に、以下の投稿があった。
福島第一原子力発電所では、(冷却機能を回復し、メルトダウンを回避するために)今日電源ケーブルを接続する作業を展開します。なんとこのプロジェクトのメンバーの数名は、クリスチャンだそうです。みんなで祈りましょう!このプロジェクトが成功すると危機的状況が180度変わる可能性があります。昨日は放水作業の手が足りないとかと言う情報を聞いていたので誰かクリスチャンが行かなければならないと思い祈っていました。永遠の命、復活の体を頂き、全知全能の神が共にいる、キリスト者こそがこの働きに適していると祈っていました。どうぞ、イエス様、この兄弟をあなたの盾で守ってください。ネット上には多くのクリスチャンたち、更に未信者の人たちまで心を一つにして祈ろうという動きが出ていた。そして、昨日、1号機、2号機への電源ケーブル接続の作業は成功した。20日未明のニュースでは、「敷地内の放射線量は高い状態が続いており、東電によると、19日までに、社員6人が100ミリシーベルトを超える被ばくをした。健康被害はなく、今後も作業を続ける意思を示しているという」とあった。これが人の本来の生き方である。人類の救いのために、キリストのような犠牲愛をもって、各自の使命を果たすために命を使うのだ。

 
  
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